林雄介

懐石料理は、「好きに食べるのが正しい。」形に拘るのは頭と中身がないから。中身がある人間は、形を変えれますよ。変えれないというのは、バカなんです。バカ。マナーやエチケットは「見栄や虚栄心を満足させるためにある」んじゃないんですよ。思いやりが極まりしものを、「マナーやエチケット」というのです。 箸の正しい使い方はない。好きに使えばいい。インドは、手掴みだし。料理のマナー本はすべてインチキですね。理由があって、食べ方や順番があるわけです。形から自由自在に離れられないなら、伝統に忠実に木の実でも食べていたらいいんですよ。 茶道の極意も一つだけです。「自然体の平常心。」守破離以前の問題です。形から入って、形を破って、形から離れる。最後は、平常心。もともと、平常心の勉強ですよ、だから、禅宗は茶道をやるわけです。レジャーや優雅な趣味じゃないですよ。「守」から離れられない人が99%。お稽古事の落とし穴ですね。習字も、破の人が大家なんですが離には行けない。 道の極意は、1つだけです。「適当でいいから歩き続ける」。もう一つは、「柳は緑、花は紅。自然体であること。」